ようやく ”天職” にたどり着いたようです。
今ほど、楽しく仕事をしている時期は未だかつてありません。
現在40歳。
20歳で社会人になって今年で20年目となりますが、その道のりは決して楽ではありませんでした。

地元の国立工業高等専門学校建築科を卒業した私は、一部上場の準大手ゼネコンに就職。
勤務先は愛知県でした。
ちょうど、バブル最盛期。仕事の量も半端じゃない程ありました。
ビル建築の工期も迫る中、人手不足の時代です。
職人さんの手配などつくものではありませんでした。

昼間には通常の業務、夕方からは長靴に履き替えスコップやハンマーを振り回す。腰には道具袋をぶら下げカナヅチを手に見よう見まねの大工仕事。おかげで、ノコギリの使い方が上手になりました。一輪車の操作もお手の物です。

そんな仕事に「?」を覚え始めたのは就職して3年目の事です。
まだ、バブルの余韻は残ってました。

「こんな好景気がいつまでも続くはずが無い。景気が悪くなれば公共工事の多い建設業は打撃を受けるのでは?住宅関連ならば、景気促進策で政府も対策を打ってくるだろう。人手不足のうちに転職しておこう」

天才的に世の中の流れを的中。

などと言うのは全くのうそ。

ただ、地元に帰りたかっただけの言い訳でした。

一度目の転職!
すぐに、大手住宅メーカーへ再就職が決まり、ここで平凡にサラリーマン生活を定年まで送る はず でした。

26歳で結婚。
28歳で勤め先の住宅メーカーで家を建てました。
双子の娘たちが誕生し、同時にスキルアップとして独学で学んでいた一級建築士にも合格。

順風満帆な折、恐れている事がやってきたのです。

転勤辞令。
”家を建てたら転勤”などとジンクスもあるようですが、自分自身に降りかかるとは・・・。 多額のローンでの新築。

30歳。家を建てて2年目の出来事でした。
家など売るに売れず、かといって二重生活ができるわけもありません。
双子の育児は想像以上に大変で、妻の母は入院しており他に身よりもありません。妻は、慣れない育児。それも夜泣きで交互に泣く双子の世話に大変な状況でした。
寝ることが大好きな妻が今振り返って、「あの頃は寝た記憶が無い」と言うほどに・・・
近くにコンビニもスーパーも郵便局も病院も無く、ほっとけるはずもありません。

そして、決断!

独立しよう。


二度目の転職!
今度は直前に資格をとっていた一級建築士を掲げ住宅リフォームで独立したのです。
設計などの技術の仕事には自信がありましたから。

しかし、営業はやった事が無かったのです。営業を舐めてました。
四方八方手を尽くしました。少ない人脈もたどりました。
そんな中、やっと貰えた見積もり依頼。
一人でコストを掛けず、どこよりも安くできるぞと思ってましたが、どうやっても、価格競争で負けてしまいました。
それには、圧倒的に工事量が違いました。材料メーカーは取引量の多いところには安く卸すのです。一人でコツコツ全てを賄い、コストを削減したところで、仕入原価が高ければ、何の意味もなくなってしまいます。
ですから、工事量を増やそうとも考えました。
後、できることといえば新聞チラシにビラ配り。
考え付く事は全てやりつくしました。

しかし、容易に仕事量など増えるものでもありません。
たちまち経営難です。
その頃、追い討ちを掛けるように株でやられました。車が買えるぐらいでしょうか。
奇しくも金なし、仕事なし、運なしに

その頃です。ファイナンシャルプランナーの資格を取得したのは。
家のリフォームや、新築など、お客様のライフプランを考慮しなくてはなりません。
もちろん、資金繰りや調達方法なども知らなくては、お客様の側に立ったアドバイスなどできるはずもありません。

そのおかげで、少しづつですが仕事量も増えていきました。
しかし、思わぬ展開に・・・
ライフプラン、お金の相談ごとなどお客様の気持ちに沿ったアドバイスが好評で、ファイナンシャルプランナーとしての仕事が増えていったのです。

万人がお金の事で悩みを持っています。お金持ちはお金持ちなりに、無い人はそれなりに。
このファイナンシャルプランナーの仕事は、お客様を選びません。誰にでもある悩みを解決に導く事のできる素晴らしい仕事です。

そんな折、幸運はやってくるものです。
2人の師に出会ったのです。
金融の奥深くを教えてくださった金融の先生。
そして株式投資の極意を教わった師匠です。

そして、今。
三度目は天職です。

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